6節 手話の神経心理学的考察

第5章の締めくくりとして、近年急速に発展しつつある脳研究を取り上げ、手話の認知過程についてわかっていることを述べておきます。
言語に関する脳研究では、脳のどの部位が言語の処理に関わっているかを明らかにすることが、基本課題の1つになっています。従来の研究では、言語の理解と産出にかかわる部分がそれぞれ異なることが明らかにされています。ただし、言語には、他にも数多くの違いが存在します。情報のまとまりという側面では、単語や旬、文、文章といった大きさの違いがあります。形態、音韻、意味、統語など、言語情報の質的な違いもあります。さらに、母語と第二言語、あるいは音声言語と視覚言語というように、言語体系そのものの違いもあります。人聞が言語を運用するとき、これらの違いに応じて脳の使われる部分も異なるのでしょうか。
音声言語については、右手を利き手とする成人の多くが、大脳の左半球を言語の優位半球としていることが知られています。そして、言語野には、言語の産出にかかわるブローカ領野(Broca’sarea)と、言語の理解にかかわるウェルニッケ領野(Wernicke’sarea)が存在することもわかっています。しかしながら、手話の言語野に相当する部位がどこにあるかについては、母語としての手話の失語症に関する脳研究が十分に行われていないこともあり、音声言語ほど明確ではありません。第二言語としての手話については、なおさらのことです。そのような中で、次に紹介する3つの研究は、いずれも音声言語と手話の両方を運用できる被験者を対象としている点で、示唆に富む研究だと言えるでしょう。
1つめは、ダマジオら(Damasio,Bellugi,Damasio,Poizner,etal.,1986)の研究です。タやマジオら(1986)は、音声言語(英語)ーと同じ程度に手話(アメリカ手話)を運用できる聴者に協力を求めて、実験を行いました。大脳半球を一時的に麻揮させるアミタールテストを実施し、麻癖後の言語の回復過程を調べたのです。その結果、左半球を麻庫させた後に、音声言語による発話と手話がほぼ同時に表れるという現象が認められました。ただし、2つの言語は合致していない場合が多く、特に手話では、かなりの数の誤用が観察されたようです。これは、音声言語の方が手話よりも回復が早いこと、そして、少なくとも聴者では、手話の表現に関する脳の部位が音声言語の発話に関する部位とは異なること、を示唆しています。
2つめは、ハグランドら(Haglund,Ojemann,Lettich,Bellugi,&Corina,1993)の研究です。ハグランドら(1993)も、音声言語と手話の両方を運用できる聴者を被験者としました。ただし、実験方法には、大脳皮質刺激法を用いました。大脳皮質刺激法とは、脳のどの部位が言語の処理に関わっているかを直接的に明らかにする方法の1つです。たとえば、被験者が音声言語で事物や絵の名前を答えるときに、大脳の左半球の特定部位に電気刺激を与えます。そうすると、この課題にうまく答えられない場合があります。ある言語課題を行ってもらうときに、ある部位に与えられた電気刺激がその課題遂行を妨害するならば、その部位が、その課題を達成するのに必要な言語の処理と深く関わっていると推測できます。脳自imaging:機能的磁気共鳴画像法)と同じく、被験者がある課題・体は痛みを感じる感覚受容体をもっていないので、この方法では、被験者に苦痛を与えることなく、いろいろなところに電気刺激を与えることが可能なのです。
ハグランドら(1993)の被験者は、音声言語としての英語と、視覚言語としてのアメリカ手話を習得している女性でした。彼女はてんかんの発作を抱えていましたが、聴者でした。姉が、生まれたときから耳が聞こえなかったので、彼女自身も幼児期からアメリカ手話を身につける機会がありました。実験では、大脳皮質のさまざまな部位に電気刺激を与えながら、英語での命名(英語で「もの」の名前を言う)課題、手話での命名(手話で「もの」の名前を表現する)課題、そして手話から英語への翻訳課題がうまく行われるかどうかをみました。その結果、言語野に刺激を与えても、これら3つの課題の遂行が妨害される部位は明確にはなりませんでした。ただし、音声言語での運動性失語と深い関係をもっブロ カ野の周辺では、電気刺激を与えたときに、英語でも手話でも言語の産出が妨害される現象がみられました。また、側頭葉前方のわりと広い範囲に電気刺激を与えたときに、手話の命名課題で手の形がうまく作れない現象がみられました。ハグランドら(1993)は、大脳左半球の側頭葉前方が、手話の処理に重要な役割を果たしていると結論づけています。
音声言語である英語と視覚言語であるアメリカ手話では、言語処理に影響を及ぼす脳部位が、同じ左半球にあっても異なるようです。これは、2つの言語に関する心的過程が、ある側面では独立していることを示喚しています。
3つめは、最近行われたエモレイら(Emmorey,Grabowski,McCullough,Ponto,Hichwa,&Damasio,2005)の研究です。
この研究では、脳の血流量を調べるためにPET(positronetomography:陽電子放出断層撮影法)が用いられました。PETは、磁場をかけて脳の血流を調べるfMRI(functional magnetic resonance imaging:機能的磁気共鳴画像法) と同じく、被験者がある課題を追行しているときの脳の活性化部位を、コンビュータ処理を通して画像化できる方法です。被験者は、ろうの両親のもとに生まれ、乳・幼児期からアメリカ手話と英語を習得している聴者でした。彼らは、両言語での運用能力が高い(視覚言語と音声言語の)パイリンガルでした。
課題は、2つの具体的事物が描かれている絵を見て、それらの空間的な位置関係を手話または英語で表現すること、さらに、あらかじめ決められた一方の事物(絵の中で赤色で描かれている事物)を、同じく手英または英語で命名することでした。たとえば、「閉じた状態で寝かせてある一冊の本(黒色で描写)の横に、1本のへアブラシ(赤色で描写)が置かれたいる絵」や「1個の空のコップ(黒色で描写)の中に、1本の長い絵筆(赤色で描写)が(穂先を上にして)入れてある絵」などが示されました。
事物の空間的な位置関係を手話で表現するときは、場所や位置を構文(locative classifier constructions)の産出が求められ、他方、それを英語で口頭表現するときは、空間での位置関係を表す前置詞(prepositions)の産出が求められました(たとえば、前述の2つの絵についての手話表現は、英語に翻訳すると、それぞれ「long over in
next to flat object」「long object in cylindrical object」のようになります).
エモレイら(2005)は、事物の位置関係を表すときの脳画像と、あらかじめ決められた)事物を命名するときの脳画像とを比較しながら、空間情報を言語化するときの脳の活性化部位が、アメリカ手話と英語で異なるのか否かを調べました。その結果、いくつかの新しい知見が得られました。
まず、アメリカ手話でも英語でも、両大脳半球の頭頂皮質が空間関係の表現に携わっていることがわかりました。ただし、右側上部の頭頂皮質は、英語よりもアメリカ手話において、関わりの程度が大きかったようです。
これは、右半球の頭頂皮質が、手話表現に求められる視覚的一運動的(ある情景内の事物の位置と、手話空間における手の位置との聞の)変形操作に関与しているからだと考えられています。
また、英語の前置詞の産出とアメリカ手話での事物命名が、ともにブローカ野を活性化させること、さらに、その活性化の程度は、アメリカ手話による(位置を表す)ー類辞構文の産出よりも大きいことが明らかになりました。これは、アメリカ手話で事物の位置関係を表現するときは、事物や空間的位置関係の「名前」を(語嚢情報として)検索する必要がないことを示唆しています。そのようなアメリカ手話での類似構文の産出は、英語の前置詞の産出時にはみられない、大脳左半球の下部側頭皮質を活性化させることもわかりました。
以上のことをふまえて、エモレイら(2005)は、アメリカ手話での空間情報に関する言語表現と、英語での空間情報に関する言語表現を比べた場合に、それらの神経学的な関わり方は同じではないとしています。
この研究の被験者、すなわちアメリカ手話と英語のパイリンガルでは、英語の前置詞の産出において、右大脳半球の活性化が認められました。これは、英語を母語とするモノリンガルには見られない現象です。エモレイら(2005)は、被験者がこれまでの人生において、空間情報を手話で表現する経験を持ち続けたことが、この現象を生み出す要因になっていると結論づけています。
現在、脳機能の研究は、新しい測定装置の開発とともにかなりのスピードで発展しています。しかしながら、「音声言語を母語としてある程度習得した人が、青年期以降に、視覚言語である手話を第二言語として学習する場合、両言語の運用にどのような神経心理学的特徴が現れるのか。」については、未だ解明されていない点が多いようです。手話学習者が手話を使うときの脳の活性化部位は、手話の母語話者や、乳・幼児期から音声言語と手話を習得しているパイリンカ、、ルとは異なるのでしょうか。国内外を問わず、これからは脳研究の動向にも注目する必要があると言えるでしょう。

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