一般の社会では、聴者が多数派の“聴者社会”であることから、多くの聴覚障害者に対して、音声言語中心の聴者社会への適応を進める傾向にあります。実際に、聴覚障害青年に対して聴者社会への適応を促すために、家庭では幼少期より聴者の保護者から音声言語による養育を受け、地域の学校またはろう学校では多数派の聴者の教師から音声言語による指導が行われることがほとんどです。聴覚障害青年は、音声言語のコミュニケーションを中心とする家庭や学校生活、そして一般社会のこの“暗黙の決まり”に適応しながら、聴者と同等に社会生活を送ってし、かなければなりません。
聴覚障害者観の変遷の歴史をたどると、過去においては、聴覚障害は日に見えないものであり、聴覚障害者は意思伝達ができれば、つまり、口話のコミュニケーション手段を習得しさえすれば、社会生活を送っていく上で何も問題がないと、聴者は考える傾向にありました。この聴者の考えには、聴覚障害者が不当なハンディキャップ(=社会的不利益)を被ってしまう音声言語優位のコミュニケーション環境があまり認識されていませんでした。聴覚障害者の多くは、聴者の両親に育てられ、また聴者の祖父母や兄弟姉妹に固まれて生活をしています。聴者の家族たちは、聴覚障害のある子どもに、聴者社会に適応してほしいと考える傾向にあります。そのため、聴者社会への適応は音声言語の表出・理解の能力を高めることにより達成されると考え、過去には聴覚障害児に対して幼少期から厳しい口話教育の指導がなされていました。しかし、聴覚障害児自身が聴者社会への適応について考える時期は、実際には青年期に入ってからです。聴覚障害青年は、家族や学校の人間関係や、コミュニケーション言語などの様々な問題に悩み、その後、聴覚障害者の世界と聴者の世界の問でアイデンティティの存在場所に関する葛藤が始まります。
青年期の時期に入ると、聴覚障害青年が聴者仲間と良好な関係を築いているとしても、自分と同じ障害のある聴覚障害のある仲間たちとの関係を重要視する傾向にあります。なぜならば、聴覚障害青年の多くは、聴者の集団の中でコミュニケーションに問題を呈している可能性が高いため、自分と同じ悩みを共有できる相手を求め、聴覚障害のある友人を必要とすることがあります。しかし、聴者の仲間とのコミュニケーションに困難を感じるだけでなく、聴覚障害のある仲間とのコミュニケーションにおいても共有する言語が音声言語である場合、その理解は聴者の仲間以上に困難である場合があります。聴覚障害青年は、生後間もなくから長期に渡って感じてきた諸々のコミュニケーションの困難により、孤立感、自己などの否定的な感情に支配されていることが容易に想像できます。聴覚障害青年が自己を正しく認識できるようにするためには、本人の心の中に強い自我や自己の信頼感を形成できるように、周囲の人々が心理的なサポートを進めていく必要があります。このような時期に、家族による心理的サポートは、聴覚障害青年のアイデンティティ形成に大きく影響していきます。家族と聴覚障害青年が、聴者と聴覚障害者との相違に関して認識するようになったとき、聴覚障害青年は自己の聴覚障害者観を発展させていくことができます。聴覚障害青年が自己や社会への探求を通して、自己のアイデンティティを確立できるように、彼らにコミュニケーション言語や自己の今後の在り方に関して選択する自由を与え、彼らを尊重することによって、その両親は子どもとの関係性をより深めていくことができるでしょう(Leigh,1987)。
ところで、聴覚障害児の90%以上は聴者の両親をもつことが報告されています。少なくとも一方の親がろうである子ども(聴覚障害者全体の約8%)ーは聴者の両親をもっ聴覚障害児と比較して、心理的な安定性が高いこと(Erting,1989)が多くの研究者によって報告されています。つまり、ろうの親をもつろう児は、その親と手話を用いながら円滑なコミュニケーションを図ることができるので、ろうの親のモデルがその子どもの社会的スキルを形成するモデルとなります(Padden,1980)。一方、聴者の親は聴覚障害児に対して、教科教育の高い学習能力、つまり、同年齢の聴児と同じ学力を求める傾向にあります。聴者の親の聴覚障害児に対する社会的成功とは、地域の学校に適応し社会に出た後も聴者仲間と上手くやって
いくことである場合が多いことが推察されます。もちろん、どんな親でも、自分の子どもに対して、「勉強ができてほしい」、「良い成績を収めてほしい」と願う気持ちは同じです。しかし、聴覚障害のある子どもに対して、「勉強さえできれば、聴者の社会でなんとかやっていけるだろう」という考えは、非常に危険であるといえます。聴覚障害青年は、聴者の親の期待に応えられるように最大限の努力をしていきますが、生涯を通じてその努力を継続できる者は、残念ながら、あまり多くないでしょう。聴者の親に育てられた聴覚障害児は、地域の小中学校や高校においてほとんど独学で学習を進め、非常に優秀な成横を収めた者であったとしても、青年期以降になると、聴者に適応し続けることに困難を感じ深く悩む傾向にあります。聴覚障害のある子どもの幸せを切実に思う気持ちは、聞こえる親も聞こえ
ない親も同じです。聴者の親が、聴覚障害のある子どもに一生懸命に聴者の子どもに近づけようと努力することも、子どもを思うが故の結果であることを理解したいと思います。しかし、その子どもの気持ちをくみ取りながら、聴覚障害に関する正しい認識を相互に深め、親子の親和的な関係を保ちながら、より強い幹を築いていくことが基本であることを忘れてはなりません。
聴者の親に育てられた聴覚障害青年は、青年期において、2つのコミュニティの選択に迫られていきます。すなわち、ろう社会(DeafCommunity)と聴者社会(HearingCommunity)の選択です。ろう社会は、手話言語を用いながらコミュニケーションが行われ、独自の文化であるろう文化(DeafCulture)が存在します。聴覚障害青年といっても様々ですが、聴覚活用による音声言語の聴取理解が困難な者については、視覚に依存したコミュニケーション手段の方が音声情報よりも理解が容易なため、手話を用いながら自分と同じ聴障障害のある仲間と積極的に係わり合うようになり、成人以降、ろう社会に所属しながら、ろう者のアイデンティティを持ちながら生活してし、く者が多くみられます(Meadow,1980)。一方、聴者の価値観に強くアイデンティティを求める人々は、音声言語を中心としたコミュニケーションを行いながら難聴者として、聴者社会に適応し続けていく者が多いです。しかし、難聴者の場合、完全に聴者の世界に順応することは困難である可能性が高いといえます。では、難聴者の居場所はどこにもなく、彼らはろう社会(DeafCommunity)ーと聴者社会(HearingCommunity)の二者択一のいずれかを選択しなければならないのでしょうか?それとも、第3の選択として、難聴者という生き方も存在するのでしょうか?(上農,2003)このことに関しては、「7.手話と聴覚障害者のアイデンティティ形成過程とその要因、(3)コミュニケーション・メディア」にて後述したいと思います。
(2)手話とろう社会・ろう文化、そしてアイデンティティ形成