言語を獲得する上で最初のマイルスト ンとなるのが、初語の表出でしょう。先述したように、手話の初語は音声言語の初語と同じように、おおよそ1歳頃に観察されるというのが現在の手話獲得研究の定説ですが、手話獲得研究の開始当初、手話の初語はいつ観察されるのかという問題については議論が分かれました。そのあたりの話から始めたいと思います。
アメリカ手話の獲得に関する初期の研究では、手話言語の初語は音声言語の初語に比べて、その出現時期が数ヶ月早いとの報告が多くありました。PrinzandPrinz(1979)は、ろうの母親を持つ聴児のアメリカ手話と英語の発達を、7ヶ月から21ヶ月まで縦断的に観察し、AsLの初語のほうが音声言語の初語より数ヶ月早く出現したことを報告しています。Bonvillian,OrlanskyandNovack(1983)もまた、ろうの親を持つ乳児11名(10人が聴児,1人がろう児)を観察し、手話における初語出現時期の平均が8.5ヶ月なのに対して、音声言語における初語出現時期は平均13.2ヶ月であり、手話の初語と音声言語の初語では、手話の初語のほうが先に出現することを明らかにしています。その理由として、次の5つの理由を挙げています。しかし、私としては、挙げられた理由につい反論したくなります。それもあわせて記したいと思います。
第1に、生理学的な理由から、その出現時期に差異が生じるというものです(Bonvillian,OrlanskyandNovack,1983)。すなわち、手話言語を表出する手指の運動発達のほうが、音声言語を表出する構音器官の発達よりも早いことが考えられるといいます。
第2に、手話言語は両親によってガイドしやすいということが考えられます(Bonvillian,OrlanskyandNovack,1983)。手話は手指モダリティで表出されるので、親が子どもの手を握り、子どもの手を正しい形に調整することが可能です。一方、音声モダリティでは、手話言語の場合とは異なり、親が子どもの構音に関して、親が子どもの口の中に手を入れて、舌の位置や口のあけ方を教えることはできません。このガイドが、子どもの手話の初語表出を促進するのに貢献しているというのも、手話の初語のほうが出現が早い理由の1っとして挙がっています。
第3に、手話初語の多くは写像的な単語であり、学習が容易であるということが挙げられます(Brown,1977)。「手話が写像的である」とは、表したい物や事柄と手話単語との関連性が強いということです。例えば{コヒー}とし寸手話単語は、スプ ンでコーヒーをかき混ぜるしぐさで表されますが、手話のわからない人がその手話を見て、何を表しているかおおよそわかるのは、手話の写像性ゆえであるといわれます。そのため、幼い子どもにとっては学習しやすく、それが初語表出における手話言語の早期性につながるといいます。
第4に、初語として表出される手話単語の多くは、直接ものを指し示すものが多く、リーチングや指さしから発展したものが多いということを挙げています(Petitto,1988)。
第5に、Petitto(1988)は、何を手話の初語とみなすのかによって、手話言語に接していない聴児にも観察されるジェスチャーを手話単語と同定してしまう可能性を指摘しています。例えば、アメリカ手話では{ミルク}という手話単語は、口の前で手を開閉させることによって表されますが、口の前での手の開閉運動は手話言語に接しているかどうかに関わらず、l歳前の子どもの多くに見られます。このような研究者の過剰解釈が、ろう児の手話初語表出時期を早く同定してしまったことが考えられると、Petitto(1988)は指摘しています。子どもの言語獲得について研究している者としては耳の痛い話です。
今まで手話の初語のほうが、音声言語の初語より早く出現するという研究と、手話の初語のほうが早い理由を先行研究から述べました。しかし、少し考えると、反論したいことがたくさん出てきます。まず、手指運動の発達のほうが構音器官の発達より早いため、手話の初語のほうが先に出現するといいますが、ろう児に手話の初語が観察される8ヶ月時には、ろう児に初語が見られるのなら、聞こえる子どもも当然、すでに初語を表出する認知的な基盤は整っているということになり、構音の発達という生理学的な未熟さから音声言語の初語が表出されないということになってしまいます。また、手話の写像性が、手話の初語出現の促進要因になっているという見解も、例えば、「コーヒーはスプ ンでかき混ぜて飲むものだ」という知識を持っていなければ、その写像性を初語獲得に活用できません。初語もまだ出ない幼い子どもが、このような知識を持っているとは到底考えられません。FolvenandBonvillian(1991)は、手話環境にある乳児が表出した手話単語のうち、写{象的なものはわずかに30%であったと報告しています。また、手話言語における動詞の獲得研究から、手話獲得における写像性の役割は非常に小さいという研究結果も出されている(Meier,1987)ことから、写像性が手話の初語が早い理由になっているとは思えません。
手話初語の早期性に関しては、私が上に述べたような反論が多く出ました。Abrahamsen,CavalloandMcC!uer(1985)は、アメリカ手話や日本手話のような手指モダリティを使用する手話言語が、音声モダリティを使用する音声言語より先に出現しでも、初語として観察された手話単語は、文脈依存的なジェスチャーレベルのものであり、これを音声言語の初語と比較することを疑問視しています。
私も手話言語環境にある2名のろう児について観察を行いましたが、この2名の手話初語の出現時期は、11ヶ月と13ヶ月であり、聴児における音声言語の初語出現時期と近いものでした(武居・鳥越,2000;Takei,2001)。最近では、手話の初語出現時期は、音声言語の初語出現時期と大きくは変わらないという知見が多いようです。
手話言語の初語の問題は、言語獲得過程に関する普遍的な特徴が、音声モダリティや手指モダリティといった、言語を受容、表出するモダリティを超えても当てはまるのかについて重要な資料を提供すると思われます。
しかし、手話の初語出現時期に関しては、まだデタが不足していて、多くの議論が存在し、結論はまだ出ていないのが現状です。また、手話研究の多くはアメリカ手話について分析したものであり、アメリカ手話の獲得研究から得られた知見が、日本手話の獲得に当てはまるかどうかについての検討もなされていません。わが国においては、まずろうの両親を持つろう児についての研究の蓄積がまず必要でしょう。
3.手話の初語はいつ出るのか