これまで聴覚障害者の手話表現がコミュニケーションの相手によってどのように、そしてなぜ変わるのかについて先行研究の結果からまとめてみました。
ところで近年、聴覚障害者の手話表現の様子が変わってきたという感想がろう学校の教師や手話通訳者といった聴覚障害者と日常的に接している人たちから寄せられています。具体的には、手話が日本語に近づいており、特に聴覚障害者同士の手話表現においても日本手話の要素が減り、日本語の要素が増えている(日本語の話しことばに近づいている)のではなし、かということです。しかし、この見方に対し、市田(2003)は、ある社会において2つの言語が用いられるとより多数の人々に用いられる言語が、少数の人々に用いられる言語に影響を与えて多数の人々が用いる言語に近づくものの、それは語嚢レベルにのみ変化が見られ、文法レベルにおいては変化しないという社会言語学の考え方を日本語と手話に当てはめ、手話の語藁レベルでは日本語の影響を受けて日本語を借用した表現が多くなるものの、手話の文法レベルでは変化していないはずであると述べています。以上のことから手話通訳者やろう学校の教師は、文法レベルで、手話表現に変化が起きていると感じているのに対して、市田は、変化が起きているのは語嚢レベルのみであるとして、日本語の影響が及ぶ範囲について見方が一致していません。そこで、このことについてろう学校高等部の生徒を対象として実証的に検討した長南(2004)の研究を紹介します。
この研究は、現在ろう学校高等部に在籍する聴覚障害者(26人)が聴覚障害者に対して手話を用いて伝達課題を遂行する際に用いられる手話表現の特徴を分析することを目的として行われました。手話が文法レベルにおいて変化が起きているかどうかを明確にするために、10年前に同じ実験条件で収集されたろう学校に在籍する聴覚障害者が用いた手話表現とこの研究で得られた手話表現を日本手話文法項目(文末指さし、分類辞、ロールシフト、単数と複数の表現、屈折表現)と臼本語文法項目(格助詞の使用頻度、係助詞、接続助詞、終助詞)の使用頻度という指標を用いて比較検討しました。手話表現者は、2003年度に公立ろう学校高等部に在籍する生徒26人で、以下、これらのものを03年度群とします。以前にろう学校高等部に在籍した聴覚障害者が用いた手話表現の資料としては、1993年にこの研究と同じ方法を用いて収集したろう学校高等部生徒26名の手話表現(長南、1994)を用いました。以下、これらの者を93年度群とします。
1)日本手話文法項目と日本語文法項目の使用頻度の比較
(図6)に日本手話文法項目の使用頻度と日本語文法項目の使用頻度において人数を比較した結果を示します。このことから現在、ろう学校高等部に在籍している聴覚障害者は、聴覚障害者に対して手話を用いる場合でもE本手話文法項目をほとんど使用せず、日本語文法項目を多用した表現、つまり日本語対応手話を用いている者が増えていることがわかります。